聴覚障害とエンパワメント【エンパワメントとは】

聴覚障害者のエンパワメント

いつごろからか、聴覚障害の分野においても少しずつ「エンパワメント」という言葉が聞かれるようになりました。

”聴覚障害者のエンパワメントの重要性”なんて聞くとなんとなくニュアンスは伝わってくる気もしますが、言う人も聞く人もどこまで意味を理解して使っているかはあやしいものがあるように思います。

かくいう自分も現在進行形でニュアンスのみ分かった気になっています。

そういうわけで、この記事では「聴覚障害者にとってのエンパワメント」とはなにを意味するのか、調べたことをまとめていきたいと思います。

備忘録として書いています。つまみぐいする感じで気軽にどうぞ。

”エンパワメント”とはなにか

一般的にはエンパワメントは、「公的な権利を与えること」(リーダーズ英和辞典)という意味があります。ここからさまざまな分野でいろんな学者さんがさまざまな定義をうみだしているのが現状です。

ここで留意しておきたいのが、エンパワメントは”概念”であることです。

概念は抽象的かつ普遍的なものです。細かな違いは無視して同じものとしてあつかいます。たとえば世の中には「ネコ」という概念があります。しかし細かく見ていくと、三毛猫だったり、ヒマラヤンだったりさまざまな種類のネコが存在しています。

これと同じように「エンパワメント」という概念があります。

エンパワメントという概念は、細かい違いを度外視して個別の事例を同じようにあつかう点で抽象的であり、個々の事例に共通するという点で普遍的なものであるといえます。

たくさんの学者がいろんな定義を述べていますが、これらはすべてエンパワメントの一面、つまりは一匹のネコのようなものでしょう。

長々とのべてきましたが、つまりは人間がものごとを考えるときの一つの基礎、基盤になるものです。エンパワメントの考え方を土台として物事を考えていくと、これまでになかった切り口から見ることができるでしょう。

”エンパワメント”の起源

それではエンパワメントとは、そもそもいつから、どんな考え方から使われるようになったのでしょう。

はじまりはアメリカの黒人解放運動です。キング牧師をはじめとして、黒人にも公民権があるべきであり、人種差別は不当だと訴えました。このときの考え方の土台ともなったのがエンパワメントです。

社会的な権利が剥奪されている状態からの脱出を意味しました。

その後ブラジルの教育思想家パウロ・フレイレが教育分野で用いるようになります。

彼はブラジルで貧しく字も読めない農夫たちに言葉の読み書きを教え、自らの境遇を考え、変えていける力をつけていく教育を行いました。彼の教育思想は教師が生徒に対して一方的に知識を伝えるような銀行型教育ではなく、生徒の批判的意識を主体とした批判教育学でした。

現在につながるエンパワメントの源流はこれらから来ています。

社会的な弱者に、教育によって社会を変革する力をつけていくこと、つまり社会的に権利が剥奪されている状況から脱出させることを「エンパワメント」と言ったのです。

この社会的な権利が剥奪されている状況はさまざまなものが考えられます。パウロ・フレイレが取り組んだ貧困や、人種差別問題、女性の権利などたくさんの状況が存在します。エンパワメントはこうした社会的な問題の変遷とともにありました。

エンパワメントは”社会的な権利が剥奪されている状況からの脱出”という共通点からなる普遍性と、それぞれの事例に対応する定義からなる抽象性からなる概念だといえるでしょう。

”エンパワメント”のひろがり

このようにして生まれたエンパワメントの概念はどのような広がりを見せたのでしょう。

アメリカでは1950年代に先住民運動、女性運動など社会権など権利の獲得を目指して用いられます。

エンパワメントはそれぞれの取り組みにおいて、行動していく上での土台となったのです。自分がなにをしているのかわからないままではなく、エンパワメントという概念が土台として多くの人に共有されたからこそ、これらの活動は大きなうねりになっていったのでしょう。

概念が人間にあたえる影響のすごみを感じます。

その後1960年以降、カウンセリングの分野で家庭内暴力や家庭崩壊によって力を失った人がふたたび力をとりもどす定義がうまれます。

また1980年代にはアメリカで、看護学や公衆衛生、社会福祉の分野でもエンパワメントの概念がつかわれるようになります。ここでは看護師の自立性を高めるための取り組みとしてエンパワメントがつかわれました。

共通しているのはこれです。

共通しているのは、社会的な差別や搾取により組織のなかで自らコントロールしていく力を奪われた人々が、そのコントロールを取り戻すプロセスを「エンパワーメント」という言葉で表している*1

権利が剥奪されている状態からの脱出から、自らの手にコントロールをとりもどすより広い概念がうまれてきたことがわかります。

各分野の”エンパワメント”の定義

ここでいままでどの分野でどのような定義がうまれてきたのかいくつか見てみましょう。

コミュニティーやより広い社会において 、自分たちの生活をコントロールしていくために、人々や組織やコミュニティーの参加を促進していくソーシャル・アクションのプロセス(Wallersteinら(1988))

個人がそれぞれの生活状況を改善するための行動を起こすことができるよう、個人的、対人的、政治的なパワーを強めていくプロセス(Gutierrez LM(1990))

教育分野

内発的動機付け、成功経験、有能感、長所伸長、自尊感情(滝沢武久(1998))

社会開発分野

 すべての人間の潜在能力を信じ、その潜在能力の発揮を可能にするような人間尊重の平等で公正な社会を実現しようとする価値 (久木田純(1998))

ビジネス分野

権限の委譲と責任の拡大による創造的意思決定(広瀬幸泰(1996))

保健福祉分野

当事者が自分の健康に影響のある意志決定と活動に対しより大きなコントロールを得る過程(WHO

これはあくまで一例で、学者さんや分野によっていろいろな定義がでています。これはすべてエンパワメントの概念であり、抽象的な面を象徴しているものです。

聴覚障害と”エンパワメント”

エンパワメントは概念であり、分野によってさまざまな定義があることがわかったところで聴覚障害と関連するエンパワメントについて調べていきたいと思います。

障害関係をみていくと、しばしば障害者の権利運動にいきあたります。

昔は障害者というだけで、社会的に差別されたり、不利な状況に置かれたりすることが普通でした。職業選択の自由や、車の免許が全面的にとれないなど多くの障壁がありました。

これらの障壁を打ち破り、障害者が障害者としてありのままに生きていける社会を目指しました。

そしてこの取り組みは2006年国連で障害者権利条約が採択されたことで実を結びました。この条約が締結されるまでに、障害者をふくむ多くの人がとなえた言葉に重要な事実が込められています。

“Nothing About Us Without Us”
(私たちのことを、私たち抜きに決めないで)

これこそまさに自らのことを自らでコントロールする「エンパワメント」の概念だといえます。

この条約は現在日本で公布されている、「障害者差別解消法」や「手話言語条例」など障害者のエンパワメントに大きな影響を与えています。

障害分野におけるエンパワメントの定義とはどうなるのか。二つの例をだしてみます。

「エンパワメント」とは同様の生活環境にある一般状況と比較してパワレス状況にある者が、政治・経済・社会的場面等における一般水準の獲得を試みた時に、本人の意向にそって、個々が有する能力の向上・社会環境の改善・個人と社会環境との調整という方法を用いて、そのパワレス状況を改善していく諸過程である*2

障害者ができない行為や技術を指導することでいわゆる健常者準ずる社会的な権限を与えていく従来の考え方ではなく、障害者自身が持っている人間としての能力を引き出すことで健常者と平等に社会的な権限を与える

どちらが正しいというのはありませんが、能力を引き出すということは共通しています。

つまり聴覚障害のエンパワメントとは、障害当事者である本人が社会の中で不当な差別や搾取に屈すること無く、障害者である本人が幸せにいきていくための考え方ナノではないでしょうか。

また聴覚障害とつながりの深い情報保障分野ではこのような定義もあります。

当事者は専門家の援助を前提条件とするのではなく、自ら問題を解決し、自分たちに影響を及ぼす事柄を自分自身でコントロールし、実践していくこと(松崎(2004))

まとめ

エンパワメントについて調べてみましたが、思っていたよりも何倍も奥深い概念であることに気付かされました。

とりあえずはここでまとめてしまいますが、あらためてしっかりと消化してから追記していこうと思います!

*1:巴山玉連、星旦二(2003)エンパワーメントに関する理論と論点

*2:障害者のエンパワメントの視点と生活モデルに基づく具体的な地域生活支援技術に関して

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