中途失聴の私が手話を覚えようとしたきっかけ【ひとりはいやだ】

中途失聴者一人は嫌だ

どうも、ハルクです。中途失聴で人工内耳で、普段は手話と口話でお話してます。

聴覚障害者のなかで手話ができる人の割合をご存知でしょうか?

なんと2割だそうです!?失聴する前は、ほとんどの聴覚障害者は手話ができるもんだと思っていたので、めちゃくちゃびっくりした覚えがあります。(たぶん、手話ニュースとか目に入ってたからかな)

2割という数字は平成8年の厚生労働省の調査によるもので、その後はやってないみたいなんですが、今でも5割以上はないでしょう。

今回は私が手話を覚えようとしたきっかけを書いてみたいと思います。同じ中途失聴の人の参考になればうれしいです。

手話を覚えようとしたきっかけ

一言で言うと寂しかったからでしょうか。

私の場合、少しずつ聴力が落ちていって、あるとき急激に聞こえづらくなりました。 なんとか音声で話ができていた状態から、一気に何回も聞き返さないとまったく会話ができない状態になってしまったんです。

それまで普通に会話できていたぶん、いろんなギャップにとまどいました。なかでも何回も聞き返して、相手が困ったような、少しいらだったような顔になることには驚くほどショックを受けました。

これまであたりまえにあった日常から、自分だけ放り出されてしまったような感覚です。

ある日突然…

例えるなら自分ではちっとも望んでなかったのに、ある日突然アラブ首長国連邦に放り出されたみたいな感じでしょうか。ちょっと無理があるかな笑

これは極端ですが、英語が少ししか話せないのに、突然アメリカに放り込まれるようなことを想像してもらえればちょっと分かるかなと思います。

同じ世界にいるはずなのに、話している言葉がわからない。自分の存在が揺らいでしまうような感覚でした。

大真面目に、自分の将来は終わりだ。将来の夢も聴覚障害になってしまったんじゃ慣れるはずがないと、ひたすら後ろ向きになっていました。

この時点では聴覚障害者なんて自分以外には知らなかったわけですから、悪い方悪い方に考えちゃってたんです。ウソップもびっくりのネガティブ思考です笑

芸人さんみたいなバイタリティがあれば、話は違ったかもしれません。しかしわたしの場合はあくまで日常の続きだったんです。自分の変化も、周りの変化もすぐには受け入れることができませんでした。

同じ世界にいけばいい

周りと生きている世界が違うような感覚になるとどうなるか。

選択肢は中途失聴になった自分をあらためて適応させていくか、中途失聴である自分が生きづらさを抱えること無く生きていける世界を探すかになります。少なくとも私はそうでした。

どんな流れをもって、選択したのかはいまではもう覚えていませんが、私が選んだのは後者です。

家族とも友人ともうまく会話ができない、授業もテレビも聞こえない。当時は、コミュニケーションすることが怖くて怖くてたまりませんでした。できるだけ話す機会が少なくなるよう放課中は机につっぷしたり、図書館で一人で本を読んだりしていました。

聴覚障害の世界

中途失聴の自分が生きていける世界。すなわち聴覚障害者の世界。

さきほど書いたように、「聴覚障害者のイメージ=手話」だった私は当然のように手話を覚えることを考えました。

手話を覚えたら世界中の聴覚障害者とおしゃべりできるなんて考えてたことを覚えてます笑

覚えるといっても地域に手話サークルがあるなんて最初は知らないので、本屋さんで手話の本を買いました。これが手話とのファースコンタクトです。

まとめ

中途失聴の私が手話を覚えたきっかけを書いてみました。

まとめると、寂しかった、誰かと話したかった、でも音声で関わるのが怖かったということになると思います。

私は手話を覚えて、たくさんおしゃべりして、その結果また少しずつ音声でも後ろ向きにならずにやっていけるようになりました。いま生きづらさを抱えて生きている人は手話について考えてみてはどうでしょう。

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